静寂と明晰〜書のお稽古の効用〜

 





 PCの普及以降、実用で文字を書く必然が生活の中で少なくなった現代では、昔ほどには書道のお稽古の必要を感じていらっしゃらない方も、きっと多いことでしょう。しかしそれは間違いです。何故なら、書のお稽古の真の効用は、単に字が上手に成る事だけは決して無いのです。

 特に現代日本の子供達にとって、これは大変に重要な要素です。
私達の教室では、約1時間から1時間30分くらい、正座で静かにお稽古をします。その間無駄話しや、私語はほとんどしません。小さな子供達もこれを守って非常に静かに練習をします。

 正座を長時間すれば当然足が痺れたり痛くなったりもしますし、それは決してウキウキする様な楽しい時間では無いはずです。しかし、これは複雑な喧噪社会にある現代の日本人に、ぜひ学んで欲しい要素を含んでいます。それを幾つかを列挙してみましょう。


1、言葉や文字を沢山書く事で、語彙を学ぶ事。

2、集中力をつける事。

3、正座の姿勢を保つ事で、心を落ち着けて肉体的な痛みなどに耐える心の強さを学ぶ事。

4、造形する事を学び、イマジネーションを育てる事。

5、言葉と身体的な、基本的礼節を身につける事。



 などですが、言うなればこれは『心の筋肉トレーニング』です。
近年の社会状況を眺めていると、子供の教育に明らかに欠如しているのは、この心の体力づくりです。
ニートなどと言って単に怠惰と放恣が癖に成って社会に出れない若者や、心の忍耐力-体力が弱い人が増えている原因の一つには教育方法の中に大きな欠如があると考えられます。肉体が弱くても悪には成らないけれど、心が弱いと悪、つまり犯罪になりますね。なので断言しますが、欠陥のある人間性とは、上に挙げた要素の欠如から来ます。


 言葉の語彙が少ない=思考力が浅い。

 集中力が無い=学問や技能が身につかない。

 心の忍耐力が無い=つまらない事で所謂すぐにキレる。

 造形力や想像力が無い=他人のメンタリティーを洞察出来ない。

 礼節が無い=人間関係上の常識が身につかないので社会生活を送る能力に欠ける。


 現代日本の若者を取り巻く社会問題のほとんどが、この要素だけで充分に説明できませんか?
 特に若い人全般にこれらが欠如してしまっているのは、単に個人や個性の問題などでは既に無いと思います。
表面的に堅苦しいものを排除し、口当たりの良いものだけを教育に敷衍すると、これら全てが欠如してしまいます。普通の御家庭や学校教育現場が概してそう成ってしまっています。これでは親も困るけれど、現実に生きていくのに支障を来すのだから、当の子供本人が一番困ります

 忍耐力が無い。常識的な礼節が無い。言葉の語彙が貧しい。思考が浅はか。…と言った状態は、無批判な洋物文物の信仰から来た、本来は良質な日本文化の退廃ですが、本来、日本人が自然に持っている素晴らしい価値感は、再度見直す価値が充分にあるものだと思います。

 また、書道のお稽古の様なスタイルの勉強は海外にはあまり有りません。それは日本独特の固有の価値だと思います。そして、それは海外でも通用する普遍性を持った価値観だと思います。将来、真の国際人に成りたい人は、まずは『日本』を身につけるべきです。

 そして、健全な生活の為に肉体を鍛えるのが大切なのと同様に、心の体力や筋力も鍛えたり訓練する機会の必要が非常に有ります。
『もうここまででいいや。』
という気持ちを、
『いや、ここまでは頑張ろう』
という気持ちに変えていく習慣は、お稽古の積み重ねから身につきます。これは勉強でもスポーツでもダンスでも、何でも一緒です。この小さな習慣の積み重ねは、ひとりの人間の人生を大きく充実させるのでは無いでしょうか。

 またこの教室では、授業の終わりには必ず3分間黙想をしてもらっています。

 皆さんが本来の日本人らしい『静寂の明晰』を手する為に‥。




 [追記]

 ついに日本の野球が世界一になりましたね。ところで、あの世界に誇れるイチロー選手が『子供の頃から書道をしていた』というエピソードに触れて、非常に納得をしました。。あの集中力、一瞬の洞察力、創意工夫、そしてどんな大事な場面でもクールで明晰、という彼独特のマインドの構築の方法は、まさしく日本的な書道の稽古から来る最大の効用です。そしてそれは世界に誇れる日本的精神性の最高の美徳です。何よりも彼の活躍や、日本野球が世界を席巻した事で、彼等が世界と私達自身にそれを証明して見せたと言えます。

 王監督の打法や生き方の原点には禅の思想と日本精神の修養があり、イチローの打法や生き方には子供の頃の書の鍛練が生きている。そういう観点から私は彼等の活躍に心から感動しました。 

 私達が世界に飛び出して戦っていく為に身につける要素として、日本人特有の静寂の明晰こそ核心的なポイントだという事を、大きな感動を持って再確認をしました。

    〜06'WBCを見終わって〜




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