桜も満開に咲く季節になりました。
花の艶やかな美しさは、まるで生命の歓喜にも見える、生命力の精気を私達に顕わして見せてくれます。
花は美しい。そして、妖しい。そして、恐ろしい。それは、生命は美しい、そして、妖しい、
そして、恐ろしい、とも言えます。
皆さんは普段、この教室で主に漢語を主体とする日本語を文字で美しく書く修練を日々しています。
そこで学ぶ、文字の深い意味、言葉の深い意味、それらを正しく書くにはどの様な方法をとるのか、
といった知識や技術に関する事を学んでいます。
しかし、この様な勉強だけで、それら言葉の深い世界を身につける事は出来はしません。
言葉とは本来、修練や知識と言った技術的なもの以上のものだからです。
だからこそ、詩を書くこともできれば、小説などの文学も生まれるのです。
言葉とは、その言葉の機能以上のものであり、その機能以上の世界を、
ただ機械的な訓練や、勉強から学ぶ事など出来はしないのです。
さて、ではどうしたら良いのでしょう?
それは、一度、言葉を捨ててみる事です。
言葉では言えない事を言わない。
ただ、それを感じる。
例えば、「花が美しい」、これは言葉に過ぎません。
この言葉の中に、花の美しさも、妖しさも、恐ろしさも、要は花の持つ生命の精気などというものは、全く入っていません。
そこで、美しい、などと言葉にして、その世界を小さな限られた言葉の部屋に閉じ込めたりせず、言葉を捨てて、ただその美しさそれ自体を眺め、
五感で感じ、さらに五感も超えたところで感じてみてください。
目に映る艶やかな色、鼻に感じる甘い香り、耳に聞こえる風にそよぐ音、触った感触、、
更に桜もちか何かを舌先で味わった甘みや複雑な香気。
それを感じて、今度はそれらを目ではなく、心の深い場所で見る、聴く、香る、触る、味わう。
そこに、まるで音楽が流れ、鼻では感じれない香気が漂い、香り、心を潤おわす甘みがあるのを、君の心は捉えますか?
もし、君がこの言葉を超えた世界を捉えるなら、君は言葉の全てをマスターする筈です。
なぜなら、そこから言葉は生まれ、やって来たからです。
そこから表意文字である漢字という文字もやって来たからです。
その場所こそが言葉や文字の生まれ故郷だからです。
言葉や文字の生まれ故郷の風景を眺めてごらんなさい。
君は本当の意味で、言葉や文字をマスターします。